法学部生に薦める本の続編記事です。長文です。この記事のオリジナルは、2002年頃に「消費情報環境法学科サイト(現在はアクセス不能)」に教員が連載していた「読書案内」に掲載したものです。

A Civil Action
by Jonathan Harr
  • 出版社: Vintage; Reprint版 (1996/8/27)
  • ISBN-13: 978-0679772675 
  • 参考(翻訳・現在版元絶版)
  • シビル・アクション−ある水道汚染訴訟  上・下 
    ジョナサン・ハー著 雨沢泰(あめざわ・やすし)訳 新潮社 
    本体上743円下705円 (新潮文庫  2000.02)
IMG_8196
(わが国最大級の有害廃棄物不法投棄・土壌汚染事件、豊島産業廃棄物投棄事件の投棄現場跡地)
 モチベーション(動機付け)が全てを決する。そういっても過言ではない。強いモチベーションがなければ我々は努力をするようにはできていない(と思う)。金、地位、名声等であればわかりやすい。ただ、我々はそう単純にはできていないようだ。
 この本は、主人公である弁護士を中心に取材した現実の物語である。表現や展開は小説仕立てであるが、いわば取材によるドキュメンタリーものである。舞台は米国マサチューセッツ州ウォーバーン(Woburn)というボストン郊外のまちである。事件は、このまちのある地区で小児癌患者が急増したことに端を発する。付近の皮なめし工場などいくつかの工場からの地下水源水道水の汚染がその原因として疑われていた。住民は、ボストンで損害賠償を専門とし羽振りのよい弁護士ジャン・シュリクトマンに事件を依頼する。シュリクトマンは、疑われる一工場の買収会社が大企業であることに目をつけ、多額の和解金が取れる金鉱だと喜ぶ。請求は、住民らの死亡・健康被害に対する損害賠償であるが、工場での有害物質の不法処理の事実、投棄場所から水道水源への汚染経路、有害物質と健康被害との因果関係等、証拠集めと立証に多大な金と労力を必要とする。住民の聞き取り調査、工場の内部告発者の証言、序盤優勢な和解交渉過程とシュリクトマンらの勝利を確信してゆく展開が被告企業側の老練弁護士の登場により躓き始める。当初の彼の意図に反し、事件は泥沼の訴訟へと転がりだし、事務所は他の案件を棚上げし、この事件に専念する羽目になり、事務所の資産はおろか、彼の私財、同僚弁護士(パートナー)、経理担当者の私財、果ては、彼ら名義で借りられるだけの借財をこの訴訟につぎ込んでゆく。何が彼及び彼らをそうさせたのだろうか。この本の醍醐味は、下敷きにされているだろう取材の厚さと生の人間が見えてきそうな表現とともに、彼らがこの訴訟に自ら没頭し巻き込まれてゆく臨場感にある。
 法廷での原告被告の攻防は、陪審制を前提にしたアメリカ(この事件ではマサチューセッツ州)の裁判制度特有の争点(事件を陪審にかけるかどうかを決める裁判手続)が重要な駆け引きの対象となったり、わかりにくい点もあるかもしれないが、ルールがおよそわかるとおもしろい。陪審法廷に進めば、被害者の家族を証言台に立たせたり、被害の実情をプレゼンすることで陪審員(一般市民)に強いインパクトを与えることができシュリクトマンらの勝利に有利に働くように思え彼らもそう期待したが、事態はそうは進まない。裁判官は、陪審に付す中間判決(summary judgement)を下すが、それは被告らの工場から水道水汚染が生じたかを判断することに限られたものだった(日本の公害訴訟でいうところの到達の因果関係)。これでは、被害者の家族を陪審員の前で証言させることは難しい。なぜなら、どんな被害が生じたかは、今回の陪審審理の争点である汚染の経路という地質学的な証明とは関係がないからである。その後の審理、結論は、本書を読んで楽しんでいただきたい。

 本ではあまり触れられていない、アメリカの土壌汚染法制との関係を補足しておこう。1970年代ニューヨーク州の新興住宅地で起きた小児癌、不妊流産等の生殖障害が多発する事件が起き、その原因は、この住宅地で過去にある化学工場が廃液を工事が中座した運河(ラブ・キャナル)に廃棄していたことにあることが明らかになった。ラブ・キャナル事件と呼ばれるこの土壌汚染事件は、大統領令による住民の強制移住という異例の緊急措置により全米で社会問題化し、他にも工場跡地等で汚染が危惧される場所が数多く存在することが指摘され、これらの汚染敷地の浄化が環境政策の緊急課題として浮上した。1980年カーター民主党政権の末期、土壌汚染の浄化を目的としたスーパーファンド法(CERCLA:Comprehensive Environmental Response,Compensation and Liability Act of 1980,42U.S.C.A.§9601 et. seq)が成立する。この法律に基づき、連邦環境保護庁(Environmental Protection Agency:EPA、以下EPA)は、環境への危険度が高いと評価した全国優先リスト(National Priority List:NPL)に挙げられている敷地の浄化作業を、当該敷地の現在の所有者ないし操業者、過去の所有者ないし操業者、有害物質の処分者(排出者)、運送者等の責任当事者(42 U.S.C.A.§9607(a))にEPAの監督の下に行わせるか、EPAが実施し責任当事者に費用負担を求めることができる。責任当事者が不明であったり、責任当事者に費用負担に耐えるだけの資力がない等の場合、浄化作業の費用は、化学物質の製造者等から取扱量に応じて徴収した資金と連邦政府からの補助金による巨額な基金(superfund法と呼ばれる所以)から拠出される仕組みになっている。
 本書で問題となったWoburnの水道水の取水井戸もNPLにこの訴訟が起きる以前から登録されており、汚染された土壌・地下水の浄化は、スーパーファンド法に基づきEPAの主導で行われている。スーパーファンド法は、土壌汚染の浄化を目的とする行政法であり、シュリクトマンらが受任した本件訴訟のような、汚染によって生じた個人の健康被害や財産的損害に対する損害賠償請求を認める根拠規定は、おかれていない。被害者が健康被害についての汚染者の賠償責任を問う場合、私法の一般法である州のコモン・ロー上の不法行為責任を根拠とする。原告(被害者側)は、被告工場からの有害物質が水道水源を汚染したこと、汚染によって健康被害が発生したこと、被告に故意ないし義務違反があったこと等、各種の不法行為責任を発生させる要件事実を原告自ら証明しなければ敗訴するのがルールである。この証明に必要な証拠の収集・作成(ボーリングをかけたり、付近の地質・地下水模型を作ったりかなり大がかりな立証活動を余儀なくされた)の費用負担に耐えかねてシュリクトマンらは経済的に破綻したのである。
 この本は、映画化(1998年 主演ジョン・トラボルタ)され、日本でも2000年に公開されビDVDにもなっている。淡々とした描写で本書全体の印象を大筋で崩さないもので、読書のきっかけ(あるいはその代わり)として、アメリカの公害民事訴訟の雰囲気を感じるものとして視聴をおすすめする。オリジナルの脚色があまりない映画であるが、2時間内外で収まりのいい物語とするために事実の前後関係、人格設定を意図的に変えている部分がある。ドラマの主人公と視聴者が幾ばくかのカタストロフィーを共有できるようにした工夫で、作り手の立場に立てば仕方のない演出なのだろうが、この演出自体あまり成功しているとは思えないし、現実のシュリクトマンら、被害者たちの積み重ねてきた事実を視聴者に曲解させ、事実及び彼らの努力の重みを大きく減じさせている。Worburnの被害者側の人々が運営しているサイト(申し訳ないがURL等の記録が手元に残っていない)では、この映画の評判はすこぶる悪い(本書自体はよい本であると高く評価している)。
 あらすじの紹介の部分でこの事件に「巻き込まれた」という表現を用いたが、彼らは「のめり込んでいった」のだろう。ここまで損失を拡大させない段階でかつ有利な条件で事件に幕を引くチャンスが何度かあった。「乗りかけた船」だとか「起死回生の大ばくち」とかの冒険的無謀を表す言葉も「正義感」という薄っぺらい言葉も彼らの行動にはふさわしくない。何かに突き動かされ、自らの意思でのめり込んでいった。「何か」とは、シュリクトマンにとって何だったのだろう。
 シュリクトマンらような全財産と生活をかけるような行動に出るだけでなく、我々が主体的な行動(言い換えれば動物的本能からすればやりたくもないことに自分の尻をたたいて覚悟を決め自分の意志で臨むこと)をとるときには何らかのモチベーションが必要である。法を勉強するモチベーションだけではなく、皆さんの自分だけのモチベーション探しの一助に本書をお薦めする。

           (M.A.)