『劇場版 PSYCHO-PASS サイコパス PROVIDENCE』が今年2023年5月12日から公開されました(中の人は、残念ながらまだみていないのです)。2015年夏に書いた記事を再再々掲載します。


先日環境関係の外部研究会で報告をして報告と議論が終わった後、「今日の話題は法学徒としては燃えますね」とある先生からお声をかけていただきました(この先生、偶然なのですが大学のサークルの大先輩です)。「法学徒」=法律を学ぶ学生=法学部生、私の時代でも死語でしたが、いい響きですね。
「法学徒」のみなさん、法学徒を目指す皆さんに、推薦アニメを。

「PSYCHO-PASS」 2012年に第一期、2014年に第二期がテレビで放映されました。第二期終了に合わせて劇場版も公開されました。

舞台は、2112年の日本。内容は刑事物です。未来ものですがモビルスーツも想像上の武器なども登場しません。テクノロジーも現在私達が知っている技術の延長線上にある程度のもの(自動走行システムとかドローンとか)で、そこら辺が妙にリアルです。

全く違っているのが社会システム。2020年に新自由主義が世界を席巻し、各国の政府は機能停止し経済力と武力という実力が支配し、社会秩序はあれまくっているという設定。その中で日本は幾つかの先進的テクノロジーを背景に鎖国を実施し、世界で唯一法治主義を保ち「理想的な」社会秩序が保たれている…。

何を書いてもネタバレになるので紹介が難しいのですが、法学徒の皆さんに身近なところで、このアニメのキーワードになっている「犯罪」概念についてだけちょっとお話ししましょう。

この社会ではシビュラシステムという無謬ないし誤りを自動補正する公平な判断システムにより実質上統治されていて(政治家も議会も役人もいるようですが、具体的な判断はシビュラシステムが行い、人間でないとできない作業を役人組織が実施しているようです)、このシステムで個人の精神的傾向を客観的に測定することが可能になっています。人の犯罪傾向も数値化(これをサイコパス=犯罪係数と呼んでいる)され測定可能で、この数字が一定水準を超えることが「犯罪」です。まだ具体的な犯罪行為を行っていなくても、測定・判断・執行器具である「ドミネーター」が「犯罪」を認定し、執行します。このドミネーターを捜査の現場で扱うのが「厚生省公安局」所属の刑事、監視官と執行官です(主な登場人物、第一期の主人公、第二期の主人公も刑事です)。なぜ「警察」「司法」の省庁でないかというと、「犯罪」は精神の病でもあるので国民の健康を管轄する「厚生省」に刑事がいます。

そうです。この社会では近代刑法の原則である「行為主義」はその役割を終え、主観主義刑法学の犯罪概念「人の精神の有り様」が犯罪であり、これを矯正し社会防衛を図るため、刑事責任システムは存在します。「人の精神の有り様」は裁判官には分からないので客観的に行った犯罪行為や状況から犯罪を捉えなければならないというのが主観主義新派刑法学の一つの矛盾だったのですが、「人の精神の有り様」をぶれなく、把握できるシステムがあるお陰で新派刑法学が貫徹可能なのです。因みにこの社会では裁判制度は執行停止状態になっています(民事法を学んでいる者としては民事裁判はどうなったのかが気になるところですが、出てきません)。
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(刑事物ですが、こんな法廷は出てきません、というより「ない」)
この物語、社会科学の基本的な文献の正確な理解の上に成り立っていて、マックス・ウェーバーやミッシェル・フーコーの著作の要点がうまく引用されており、その数は10を超えています。そして何よりこの物語の設定は絵空事ではなく、今の社会や政治システムの動きを考える上で重要な問題提起をしています。
紹介・解説すると全部ネタバレになるので残念です。

こう書いてしまうとつまらないように思えるかもしれませんが、何も考えずに見て「すごく面白い」です。毎回興奮できます。刑事物としても良くできています。総監督は「踊る捜査線」の監督として著名であり、脚本虚淵玄は「魔法少女まどか・マギカ」でその才能を見せつけた鬼才、エンターテインメントとして傑出しています。

法学徒のみなさんに是非見ていただきたいのは、第二期で成長した主人公「常守朱」が悩みながらあるべき社会を考え始めるところ。でも、お話は第一期から見て下さい。

人気なのでレンタルDVD屋さんにまだおいてあると思います。「旧作」になっていると思うのでお手軽に全編鑑賞できると思います。多くの学生さんは「知ってるよ」かもしれませんが、アニメにほとんど興味がないという学生さんに是非見ていただきたいです。皆さんの夏休みはまだまだ続くので、お暇なときにどうぞ。

         (M.A.)

(2020年再再掲時のコメント)
記事を書いて3年半たった2019年1月にも書きましたが、「2020年に新自由主義が世界を席巻し、各国の政府は機能停止し経済力と武力という実力が支配し、社会秩序はあれまくっているという設定」は、現在の社会階層分断と国際緊張をみると、このとき以上に笑えないリアリティを感じます。人間の尊厳・自律と秩序を語る権力との相克は、国内外の様々な問題を見る度に考えさせられる問題です。

ところで、自問自答で恐縮ですが、サイコパスの世界で民事裁判を起こすような人間はトラブルで色相が濁りきっているので、多分執行対象ですよね。しかたがって民事裁判は不要、ということで。因みにこの物語の世界では、「大学」は廃止されており、社会科学は御法度扱いで、自分を社会から隔絶することで身の安全を守る「犯罪学者」が登場します。


このブログは、1年半経った記事は削除するルールにしており、再掲した記事も削除対象になりますが、この記事、なぜか、ブログ内の高ヒット記事にずっとランクインしており、そのほとんどがグーグル検索から飛んできています。読んで下さる方がいらっしゃるなら、ということで、再々掲しました。
迷い込んで入らした方、よろしければほかの記事もお目通しいただけると嬉しいです。

(2023年のコメント)
AIが存在感を増し、人が裁く裁判の煩わしさ、危うさに頼るよりも、AIに紛争解決をさせてみる試みが始まったようです。東京大学の文化祭で先日行われたAI模擬裁判サイト。当日のリアルタイム配信のYouTube動画も視聴できます。

シビュラ類似のシステムに依存する社会も現実の選択肢の一つにまで近づいているのかもしれません。

AI刑事裁判の実施には、多くの議論を経て法改正が必要ですが、民事についてはもっと早くAIによる紛争解決が行われる可能性があるでしょう。
現在紛争を抱える当事者は、弁護士や社内法律家の見解を聞いて対応していますが、裁判をやってみて出る結論が予め高い確率で正確に出るのであれば、裁判を利用せず、その内容で交渉和解することも選択肢の一つになります。また、紛争両当事者の紛争解決を請け負うAI-ADR(裁判外紛争処理機関)が公正性を確保する仕組み(おそらくは技術的に制約をかける方法で)を確保して設置できれば、これを利用することで、当事者は、コストと時間がかかる民事裁判を回避し、さらに弁護士に依頼するコストも削減して、お互いに満足する結論に至ることもできるかもしれません。

その時、法学徒は必要なのか。おそらくは今以上に必要になると予想しています。
明治学院大学法学部には「AIと法」という科目があります。来年度「情報数理学部」が設置され、さまざまな協働が行われることに個人的に期待しています。

学生さんや外部の方から再掲のご要望をいただき、調子にのって載せてみました。

さあ、君も法学部に入って、「法の支配(rule of  law)」を人の力で実現しようともがく常守朱になってよ。